今日のゲストは、音楽評論家の山崎浩太郎さんと音楽評論家で詩人の吉井亜彦さん
山崎さんは、ご自身の著書『演奏史譚1954/55:クラシック音楽の黄金の日日』を紹介しにきて下さった
私はこの本を手に取った時に「この読み物は何と説明すれば良いのだろう?」と思った
小説でもなければ辞典でもない、教材というにも違う
そもそも演奏史譚という言葉も聞き慣れない
どう読み進めて行ったら良いのかも分からない
分からない事だらけだった
今回の収録で、自分なりにその答えが見つかった
これは「道しるべ」なのだと思う
本の帯には“歴史絵巻”と書かれている
“譚”とは 物語の事を指す
今私達が生きている時代は、幸いな事に以前より格段に技術は進み、 かつては出来なかった事の多くが可能になった
例えば、アメリカで大好きなアーティストの何としてでも行きたいライブが開催されるとする
私達はきっと、行こうと思えばいくらでも行く方法がある
もし行けなくても、後に発売されるDVDでほぼフルのライブを見る事が出来るし、もしかしたらリアルタイムの中継が見られるかもしれない
しかし、昔からそうだったわけではない
そうでない時代の人にとっては、リアルタイムでその音を聞いた限られた人の話が、音の道しるべだったのだと思う
吉井さんは、よく考えながらゆっくりとお話しする方だった
ご自身の著書である『演奏と時代 指揮者篇』を紹介しにきて下さったのだけれど、その中で昔と今のオーケストラの違いについて話した場面があった
今は“個”が強くなり、団員一人一人の意見を統合した平均により音楽が作られているという
そのため、昔に比べてオーケストラ毎の違いが薄れてきているように感じるというのだ
だとしたら、オーケストラの違いとは何だったのか?
それは 指揮者の違いだったのではないか?
収録中に聞く事が出来なかったので、収録語にお話を伺ってみた
そうすると、やはり少なからずそういう部分はあったのだという
音楽記号とは、実に曖昧な所がある
歩くような速さで、普通の速さで
人によって違うじゃないか
そういうものの正解を
昔の指揮者は指し示す事が出来たのではないだろうか
それがたとえわがままに見えたとしても
指揮者の優劣を言っているのではなくて
それが許された時代、環境、風潮があったのかも知れないと感じた
私はその話を聞いたときに、団員の人は大変だったろうなと思った
同時に、指揮者の方は人一倍の不安を抱えていたのではないかなとも思った
誰しもが各々持っている曖昧な感覚
その正解を導き出さねばならないのだ
これが正解だ、という強い意思を貫かねばいけないのだ
音楽は数学とは違う
正解は一つではないし、決まってもいない
音楽家達は 一人一人の信念を武器に 日々“正解”と戦っているのかもしれない
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